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(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)
(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)
===尊卑分脈(記事名の出現頁・OCR照合)===
*『本朝尊卑分脈』(洞院公定撰、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[5]:[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/2552976?page=35 35頁]、[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/2552976?page=37 37頁]
*『本朝尊卑分脈』(洞院公定撰、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[8]:[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/2552979?page=35 35頁]


==系図・系譜==
==系図・系譜==

2026年10月23日 (金) 12:41時点における版

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

肥後の大族、阿蘇氏の一族にして、筑前國下座郡光永より起り、惟富を祖とすと云ふ。元弘三年十二月の阿蘇文書に「筑前國下座郡配分の事、一、光永名(並に吉武名内云々)。右配分の狀、件の如し。前大宮司惟時、光永又四郎殿」とあれば、又四郞の裔なるや明白也。しかるに村岡氏は「阿蘇系圖に惟理·大分郡津守莊を領して、光永邑に居る。因りて光永氏鯖江藩士に水谷山下學抄に此の訓見九州北軍の水地原ミツチハラ豐後の豪族にして、圖田帳に水地原新左衞門ミ同奥畑神左衞門等見ゆ。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁)

尊卑分脈(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『本朝尊卑分脈』(洞院公定撰、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[5]:35頁、37頁
  • 『本朝尊卑分脈』(洞院公定撰、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[8]:35頁

系図・系譜

関連論文

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