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(太田亮『姓氏家系大辞典 第1巻』磯部甲陽堂(1942年)2頁)
(太田亮『姓氏家系大辞典 第1巻』磯部甲陽堂(1942年)2頁)
===尊卑分脈(記事名の出現頁・OCR照合)===
*『本朝尊卑分脈』(洞院公定撰、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[1]:[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/2552972?page=18 18頁]、[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/2552972?page=19 19頁]
*『本朝尊卑分脈』(洞院公定撰、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[7]:[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/2552978?page=82 82頁]


==系図・系譜==
==系図・系譜==

2026年10月23日 (金) 12:41時点における版

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

伯耆の名族、名和氏の一族にして、名和系圖に「行盛-行貞(小三郞入道)-直行(筑後守、上神三郞)-高直(上神太郞兵衞尉)、弟直重(上神次郞、雅樂尤、早世)」と載せ、また直行第助貞(上神四郞三郞)、と載せ、また那波系圖には直行を加賀守と載せ、その後、「行興-顯善(上神二郞三郞改題輝)」など見ゆ。而して高直に「正平八年正月十日、備前國富岡にて討る」と載せ、櫻雲記には備前國岡山にて戰死すと。次に助貞は伯耆卷によ神四郞三郞助貞とあり、元弘三年四月八日、四京二條大宮に於いて討死す。顯善は後世この遺跡を嗣ぎし人にて、天正十五年薩摩出水にて討死せり、歲十九。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第1巻』磯部甲陽堂(1942年)2頁)

尊卑分脈(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『本朝尊卑分脈』(洞院公定撰、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[1]:18頁、19頁
  • 『本朝尊卑分脈』(洞院公定撰、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[7]:82頁

系図・系譜

関連論文

外部リンク