「德宿」の版間の差分
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
和名抄、常陸國鹿島郡に德宿〓に收む、その後、弘安勘文に「北條德宿〓五十七町三百步」と見ゆ、この地より起りしにて、植武平氏大掾氏の族なり。常陸大掾系圖に「鹿島三郞成幹-鹿島太郞親幹(德宿權守に改む) -武藏權守秀幹-安房亦太郞俊幹-康康东太郞-女子安装左意門太郎宗幹妻幹秀-總政權田-義幹-最幹樽守三郎幹直幹政甚回郞德宏四第重幹直留六郎し政幹正六と見ゆ。初め德宿城に據りしが、遠孫·三〓定幹に至リ、文明十八年三月十二日、江戶通雅に攻められて廢す。新編國志に「德宿。鹿島郡德宿村より起る。鹿島成幹の長子親幹·鹿島太郞、又德宿安房權守と稱す。子秀幹、秀幹に四子あり、俊幹、幹秀、知幹、幹直と曰ふ。俊幹·安房又太郞と稱す(系圖)。甞つて壓々鎌倉の宿衞を怠り、其の番次を發す。正嘉元年、有司·其の序を改正し、命じて番帳に列す(東艦)。爾後の世系詳ならず。正平十一年·網幹あり、大使役たり(大使役記)。文明十八年、江戶通雅の德宿城を攻むるとき、城主三郞·拒戰して死し、城陷る(江戶軍記)」とaかくて德宿氏亡びしが如し。又那珂郡阿波山上神社の神主に、床宿氏あ!!その他、烟田、鎌田等の條參照。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)