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「竹貫」の版間の差分

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2026年5月30日 (土) 19:14時点における最新版

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

磐城國白河郡の豪族にして、〓和源氏石川氏の族なり。明德五年七月一日左京大夫判書に「大寺安藝入道々悅、竹貫參河四郞光貞と、石川郡吉村を相論する事。道悅の申す所、頗る其の謂あり云々」と。また白川古事考に「石川郡須釜大安寺由諸に、石川安藝守光義入道々悅と、光貞と吉村の地を爭ふ事あり」と見ゆ。その善提寺は山上村居覺寺にして、過去帳に「廣覺寺殿德翁固公·俗名廣光」より十三代「網光、次光、常光、寛光、忠光、勝光、正光、重光、家光、政光」等の名見ゆ。九代重光の事は諸書に見ゆ。重光の旗は猪の形を〓がき、重光の孫權大夫政光の旗には、鳥居門を〓がくとぞ。天文より天正の間、竹貫三河守は岩城四口の旗頭にて、山上村の舊家·岡部氏の古卷子に、天文廿一年より天正十八年までのものに、此の人の署名「重光」とあり。頷る武名ありて、長男中務尙忠は、天正十七年、須賀川落城の時、加勢として出陣し、遂に打死す。重光の長男尙患は、水野勘解由の名跡を繼ぎしが、十代を家光といへり。又岩城重隆の天文永祿頃の文書に「竹貫彈正」の名あり。これ家光にて、其の子權太夫政光は十一代たるなり(磐城志)。天正九年、同十年の常歷判書に「竹貫三河守」見え、又仁科岩城系圖に「中山大藏大夫隆道の女·竹貫殿妻」と。又會津水野文書、常隆よりの文書に此の氏あり。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁)

系図・系譜

関連論文

外部リンク