「興統」の版間の差分
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姓氏家系大辞典より自動作成 |
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嘉名を採れるならん。○興統公近江の名族にして垂仁帝裔小槻氏の族也。嘉祥二年七月紀に「近江國栗太郡人木工大九正七位下小槻山公家島、姓を興統公と賜ひ、本居を改めて、左京五條三坊に貫附す、」と見えたり。オツキ、オツキノヤマ條を見よ。 | 嘉名を採れるならん。○興統公近江の名族にして垂仁帝裔小槻氏の族也。嘉祥二年七月紀に「近江國栗太郡人木工大九正七位下小槻山公家島、姓を興統公と賜ひ、本居を改めて、左京五條三坊に貫附す、」と見えたり。オツキ、オツキノヤマ條を見よ。 | ||
(太田亮『姓氏家系大辞典 | (太田亮『姓氏家系大辞典 第1巻』磯部甲陽堂(1942年)2頁) | ||
==系図・系譜== | ==系図・系譜== | ||
2026年5月30日 (土) 08:32時点における版
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
嘉名を採れるならん。○興統公近江の名族にして垂仁帝裔小槻氏の族也。嘉祥二年七月紀に「近江國栗太郡人木工大九正七位下小槻山公家島、姓を興統公と賜ひ、本居を改めて、左京五條三坊に貫附す、」と見えたり。オツキ、オツキノヤマ條を見よ。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第1巻』磯部甲陽堂(1942年)2頁)