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「薄衣」の版間の差分

提供: 氏族家系データベース
姓氏家系大辞典より自動作成
 
出典表記修正:上巻→第1巻
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陸中國磐井郡薄衣邑より起る。桓武平氏葛四氏の一族にして葛四氏に屬す。伊達世次考に「明應八年己未十二月十三日、奥州磐井郡東山住人葛四一族薄衣美濃入道經連、蓮阿彌を遣はし、書を献じて援兵を請ふ、其の略に曰く、薄衣入道謹言、國中の事は固より探題の下知する所也〓是を以つて貴賤手を東ね、輕素足を戴く。況んや入道は葛西の門葉、僅に其裏の塵を繼ぐをや、云々、則ち入道一人の扶植に非ず、國の爲、民の爲のみ。意趣は蓮阿彌佛申披かるべし、恐々謹言、極月十三日、進上、奉行所、薄衣美濃入道沙彌經連」と。こは所謂薄衣狀にして當時の形勢を窺ふ史料として尊重さる。この後永慶軍記に薄衣小二郞と云ふ人見ゆ。
陸中國磐井郡薄衣邑より起る。桓武平氏葛四氏の一族にして葛四氏に屬す。伊達世次考に「明應八年己未十二月十三日、奥州磐井郡東山住人葛四一族薄衣美濃入道經連、蓮阿彌を遣はし、書を献じて援兵を請ふ、其の略に曰く、薄衣入道謹言、國中の事は固より探題の下知する所也〓是を以つて貴賤手を東ね、輕素足を戴く。況んや入道は葛西の門葉、僅に其裏の塵を繼ぐをや、云々、則ち入道一人の扶植に非ず、國の爲、民の爲のみ。意趣は蓮阿彌佛申披かるべし、恐々謹言、極月十三日、進上、奉行所、薄衣美濃入道沙彌經連」と。こは所謂薄衣狀にして當時の形勢を窺ふ史料として尊重さる。この後永慶軍記に薄衣小二郞と云ふ人見ゆ。


(太田亮『姓氏家系大辞典 上巻』磯部甲陽堂(1942年)2頁)
(太田亮『姓氏家系大辞典 第1巻』磯部甲陽堂(1942年)2頁)


==系図・系譜==
==系図・系譜==

2026年5月30日 (土) 08:32時点における版

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

陸中國磐井郡薄衣邑より起る。桓武平氏葛四氏の一族にして葛四氏に屬す。伊達世次考に「明應八年己未十二月十三日、奥州磐井郡東山住人葛四一族薄衣美濃入道經連、蓮阿彌を遣はし、書を献じて援兵を請ふ、其の略に曰く、薄衣入道謹言、國中の事は固より探題の下知する所也〓是を以つて貴賤手を東ね、輕素足を戴く。況んや入道は葛西の門葉、僅に其裏の塵を繼ぐをや、云々、則ち入道一人の扶植に非ず、國の爲、民の爲のみ。意趣は蓮阿彌佛申披かるべし、恐々謹言、極月十三日、進上、奉行所、薄衣美濃入道沙彌經連」と。こは所謂薄衣狀にして當時の形勢を窺ふ史料として尊重さる。この後永慶軍記に薄衣小二郞と云ふ人見ゆ。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第1巻』磯部甲陽堂(1942年)2頁)

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