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(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)
(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)
===本朝武家諸姓分脈系図(記事名の出現頁・OCR照合)===
*『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[27]:[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/2593299?page=16 16頁]
===華族類別譜(記事名の出現頁・OCR照合)===
*『華族類別譜』(柴山典編、1884、国立国会図書館デジタルコレクション)(明治17年)下巻:[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/1152022?page=2 2頁]
===新撰姓氏録考証(記事名の出現頁・OCR照合)===
*『新撰姓氏録考証』(栗田寛著、1900、国立国会図書館デジタルコレクション)巻之11-21:[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/991615?page=7 7頁]


==系図・系譜==
==系図・系譜==

2026年10月24日 (土) 08:06時点における最新版

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

常陸の名族にして、多賀郡佐波波地祇神社々記に「神主を置くは、佐渡神羅座の年に始まる。物部二田連(一に賛田に作る)高波氏·奉齋す。卽ち今の穗積氏の始祖也。家は佐波山仁田神楯後山下に在り、二十六世相承居る焉。世人呼んで〓宮の宅と爲す、永祿十二年己巳八月、佐波神を鹽原山鏡塚に移すの時、居を車村關屋に徒す、基址見存す。當時時人·神主を呼んで清宮大夫と謂ふ。今尙ほ隣國人·〓宮大夫と謂ふは乃ち其の綠也。凡そ神主の子孫任職の始め、先づ佐渡山に上りて舊址を拜す。而して今の祠に詣づ、署して永式と爲す。神領六十石有餘、古は車〓に在り、今僅に十の一を存す」と此の氏は、また越後、信濃にも存す。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』磯部甲陽堂(1943年)2279頁)

本朝武家諸姓分脈系図(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『本朝武家諸姓分脈系図』(写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[27]:16頁

華族類別譜(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『華族類別譜』(柴山典編、1884、国立国会図書館デジタルコレクション)(明治17年)下巻:2頁

新撰姓氏録考証(記事名の出現頁・OCR照合)

  • 『新撰姓氏録考証』(栗田寛著、1900、国立国会図書館デジタルコレクション)巻之11-21:7頁

系図・系譜

関連論文

外部リンク