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(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁) | (太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁) | ||
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*『本朝尊卑分脈』(洞院公定撰、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[7]:[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/2552978?page=65 65頁] | |||
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2026年10月23日 (金) 12:41時点における版
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
羽後國雄勝郡川連邑より起る。又川津良に作る。永慶軍記に「文祿五年、雄勝郡には、稻庭、川連、三梨とて、小野寺の一族三个城あり。湯澤の東五十里を隔てし所也。一度最上義光に降りしと雖、深くは下知に從はず川連は小野寺景道が三男飛驒守が嫡子なる經道が子、藏人道基なり」と載せ、小野寺系圖に「晴道の子道實の弟道俊(川連善四郞、弘治三年十月二十七日卒、八十三歲、法名淨念)ー道光揮正、大永二年十二月廿三日卒、法名淨林)-道度(傳十郞、天正十八年四月十日卒、四十八歲)-道種(傳十郞、播磨守、寛永十二年卒)-道行(傳十郞、角左衞門、茂木家奉公)、弟道孝」とあり。オノテラ、及び大森條を見よ。天正十八年、川津良等兵を擧げしも、上杉氏に破られて降る。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第2巻』磯部甲陽堂(1943年)1151頁)
尊卑分脈(記事名の出現頁・OCR照合)
- 『本朝尊卑分脈』(洞院公定撰、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[7]:65頁