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「奧瀨」の版間の差分

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陸奥國北郡奧瀨村より出づ、南部氏に從ひて甲州よリ下りし安藝の子孫にして、本姓小笠原氏、天正の頃中市城主たり。奧南深秘錄に「甲州譜代、安藝、本名小笠原、臭瀨村を知行して奥瀨氏となる」と。天正二十年四十八城註文に「中市、平城、破却、小笠原彌九郞持分」とあるもの此の氏に當る。(アキ條參照)。又津輕一統志に「天正十三年云々、油川(津輕郡)の城主奧瀨善九郞は波岡御所由緒のものなり」とあるも同族なるべし。これより前、異聞錄に「油川へは南部奧瀨判九郞下リ、外濱の代官なり。其の子油川善九郞、船水讃岐なり」と見ゆ。德川時代南部藩の重臣に此の氏あり。
陸奥國北郡奧瀨村より出づ、南部氏に從ひて甲州よリ下りし安藝の子孫にして、本姓小笠原氏、天正の頃中市城主たり。奧南深秘錄に「甲州譜代、安藝、本名小笠原、臭瀨村を知行して奥瀨氏となる」と。天正二十年四十八城註文に「中市、平城、破却、小笠原彌九郞持分」とあるもの此の氏に當る。(アキ條參照)。又津輕一統志に「天正十三年云々、油川(津輕郡)の城主奧瀨善九郞は波岡御所由緒のものなり」とあるも同族なるべし。これより前、異聞錄に「油川へは南部奧瀨判九郞下リ、外濱の代官なり。其の子油川善九郞、船水讃岐なり」と見ゆ。德川時代南部藩の重臣に此の氏あり。


(太田亮『姓氏家系大辞典 上巻』磯部甲陽堂(1942年)2頁)
(太田亮『姓氏家系大辞典 第1巻』磯部甲陽堂(1942年)2頁)


==系図・系譜==
==系図・系譜==
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[[Category:氏族系統/]]
[[Category:氏族系統/]]
[[Category:出自別/]]
[[Category:出自別/]]
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2026年5月30日 (土) 19:10時点における最新版

概要

関連文献

姓氏家系大辞典

陸奥國北郡奧瀨村より出づ、南部氏に從ひて甲州よリ下りし安藝の子孫にして、本姓小笠原氏、天正の頃中市城主たり。奧南深秘錄に「甲州譜代、安藝、本名小笠原、臭瀨村を知行して奥瀨氏となる」と。天正二十年四十八城註文に「中市、平城、破却、小笠原彌九郞持分」とあるもの此の氏に當る。(アキ條參照)。又津輕一統志に「天正十三年云々、油川(津輕郡)の城主奧瀨善九郞は波岡御所由緒のものなり」とあるも同族なるべし。これより前、異聞錄に「油川へは南部奧瀨判九郞下リ、外濱の代官なり。其の子油川善九郞、船水讃岐なり」と見ゆ。德川時代南部藩の重臣に此の氏あり。

(太田亮『姓氏家系大辞典 第1巻』磯部甲陽堂(1942年)2頁)

系図・系譜

関連論文

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