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伊豫國溫泉郡淺海村より起る。河野氏の一族にして、越智系圓に、「四十一親孝-盛孝(遠藤祖)-能長(淺海藤四郞淺海祖也)-賴季-信季」と見ゆ。東盤元久二年八月條に淺海太郞賴季あり、此の氏人也、次に太平記卷二十二に淺海六郞あリ、此の流か。次に豫章記に「今岡通任、村上三郞左衞門義弘相談し、同廿二日の夜淺海浦に押渡る。中村十郞左衞門久枝、北方の所緣たる故に能美島へ送り奉る、御伴の人々には志津川六郞左衞門入道、同小川淺海五郞左衞門尉、同大輔房六郞三郎、云々、去程に此渡海の事露顯の間細川方よリ討手を向けらる、云々」また「正平廿一年豊前國小倉に押下て案内申さる問、卽ち淺海八郞五郞、森五郞(淺海衆也)、中須三郞管理など見え、猶ほ淺海兵庫助など多く見えたり。德川時代、丸岡有馬藩用人に此の氏あり。 | 伊豫國溫泉郡淺海村より起る。河野氏の一族にして、越智系圓に、「四十一親孝-盛孝(遠藤祖)-能長(淺海藤四郞淺海祖也)-賴季-信季」と見ゆ。東盤元久二年八月條に淺海太郞賴季あり、此の氏人也、次に太平記卷二十二に淺海六郞あリ、此の流か。次に豫章記に「今岡通任、村上三郞左衞門義弘相談し、同廿二日の夜淺海浦に押渡る。中村十郞左衞門久枝、北方の所緣たる故に能美島へ送り奉る、御伴の人々には志津川六郞左衞門入道、同小川淺海五郞左衞門尉、同大輔房六郞三郎、云々、去程に此渡海の事露顯の間細川方よリ討手を向けらる、云々」また「正平廿一年豊前國小倉に押下て案内申さる問、卽ち淺海八郞五郞、森五郞(淺海衆也)、中須三郞管理など見え、猶ほ淺海兵庫助など多く見えたり。德川時代、丸岡有馬藩用人に此の氏あり。 | ||
(太田亮『姓氏家系大辞典 第1巻』磯部甲陽堂(1942年)頁不明) | |||
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概要
関連文献
姓氏家系大辞典
伊豫國溫泉郡淺海村より起る。河野氏の一族にして、越智系圓に、「四十一親孝-盛孝(遠藤祖)-能長(淺海藤四郞淺海祖也)-賴季-信季」と見ゆ。東盤元久二年八月條に淺海太郞賴季あり、此の氏人也、次に太平記卷二十二に淺海六郞あリ、此の流か。次に豫章記に「今岡通任、村上三郞左衞門義弘相談し、同廿二日の夜淺海浦に押渡る。中村十郞左衞門久枝、北方の所緣たる故に能美島へ送り奉る、御伴の人々には志津川六郞左衞門入道、同小川淺海五郞左衞門尉、同大輔房六郞三郎、云々、去程に此渡海の事露顯の間細川方よリ討手を向けらる、云々」また「正平廿一年豊前國小倉に押下て案内申さる問、卽ち淺海八郞五郞、森五郞(淺海衆也)、中須三郞管理など見え、猶ほ淺海兵庫助など多く見えたり。德川時代、丸岡有馬藩用人に此の氏あり。
(太田亮『姓氏家系大辞典 第1巻』磯部甲陽堂(1942年)頁不明)