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*『新撰姓氏録考証』(栗田寛著、1900、国立国会図書館デジタルコレクション)巻之20:[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/780441?page=28 28頁] | *『新撰姓氏録考証』(栗田寛著、1900、国立国会図書館デジタルコレクション)巻之20:[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/780441?page=28 28頁] | ||
*『新撰姓氏録考証』(栗田寛著、1900、国立国会図書館デジタルコレクション)巻之1-10:[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/991614?page=213 213頁] | *『新撰姓氏録考証』(栗田寛著、1900、国立国会図書館デジタルコレクション)巻之1-10:[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/991614?page=213 213頁] | ||
===文献(NDLサーチ・Amazon)=== | |||
*『実錄「福島藩」 板倉氏就封三百年』福島民報社(2002) [https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I033431525 国立国会図書館サーチ] | |||
*中村肇・川原崎淑雄『相良藩 宝永七年本多氏が立藩。板倉氏の支配の後、前後期の田沼氏の自由な文化政策で栄えた湊町。』現代書館(2015) [https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I026279754 国立国会図書館サーチ] [https://www.amazon.co.jp/dp/4768471366?tag=a0f5db-22 Amazon] | |||
*福島県文化振興事業団『福島城の変遷と板倉氏』福島県文化振興事業団 [https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R000000025-I011440005106423 国立国会図書館サーチ] | |||
*『板倉家家譜 全』 [https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I07111001100413460 国立国会図書館サーチ] | |||
*『板倉家系図 写 全』 [https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I07111001100413461 国立国会図書館サーチ] | |||
*『板倉家日記』 [https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I01111009510007159 国立国会図書館サーチ] | |||
*『板倉家密書』 [https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I07111001100413525 国立国会図書館サーチ] | |||
*『板倉家由来』 [https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I07111001100413523 国立国会図書館サーチ] | |||
==系図・系譜== | ==系図・系譜== | ||
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==外部リンク== | ==外部リンク== | ||
*[http://www2.harimaya.com/sengoku/html/itakura.html 武家家伝_板倉氏(播磨屋 武将の家紋)] | |||
*[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E5%80%89%E6%B0%8F Wikipedia:板倉氏] | *[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E5%80%89%E6%B0%8F Wikipedia:板倉氏] | ||
2026年10月31日 (土) 17:38時点における最新版
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
越後國頭城郡に板倉癖あり、以多久良と註す。又備中國賀夜郡に板倉郷あり、伊多久良を訓ず。此の氏中には此等より起りしもあれど、板倉侯は下野板倉より起るとぞ。1 -足利流下野國足利郡板倉邑より起る。尊卑分脈に「足利泰氏-義顯(板倉二郞)」と見ゆ。松平家臣板倉は此の後にて、義顕後に達川と改め、賴重に至リ又板倉を稱し。勝重復澁川を稱せしも後又々板倉に改むと云ふ。其系は「義顯-義春-眞賴-義季-直賴-義行-滿賴-義俊-義鏡-義堯-賴重-好重-勝重」なりと。勝重の事は藩翰譜に「伊賀守源勝重は、陸奥守義家朝臣五代の孫、足利宮内少輔泰氏の二男、板倉五郞義顯の後胤なり。義顯また澁川と名のる、それが末葉、三河國額田郡小美村の住人八右奮門尉好重が時に當りて、同國松平大炊介好景に屬して、永祿四年四月十五日、好景と共に吉良義昭と戰ひて討れぬ好重男子三人あり、嫡男杢右衞門尉忠重は、好景の男故主殿助伊忠に仕ふ。伊賀守勝重は、好重が二男にて、幼き時當となり、當國夏山といふ所の禪院にぞ候ひける。三男は革嚴定重、主監助家忠に仕へ0忠の男なり)天正二年七月高天神の城にて討死す。定重打死したりし後、德川殿の仰せ事ありて、勝重運俗し、初め澁川と名のる、又板倉と改めて、四郞右衞門尉とぞ申ける。天正十六年德川殿、駿河の國府に移り住せ玉ふに至て、多くの御家人の中を擇び玉ひて、勝重をして此所の町奉行に任せらる」とo額田郡小美村小美城は米津氏の居城也。松平大炊助忠定之を攻めて陷る。後板倉伊賀守板倉黨當城にあり。また中島城に板倉彈正重定あり、永祿四年岡城に走る。又寶飯郡野口に板倉主水重莖の居舗あり。皆一族ならん。勝重の後は、澁河八右衞門好重-澁川四郞右衛門源勝重伊賀守)周防守重宗-阿波守重卿-隱岐守重常伊豫守重形-伊豫守重同內膳正重昌-内膳正重矩-伯耆守重良實際保主義我明長子新右衞門重澄-石見守重種内唇正筑後守重直-筑後守重行にして、重常の後は、隱岐守重常-周防守重冬-近江守重治-周防守時遺-美濃守勝武第日向守勝從弟周防守(主膳正)曆政-同防守勝峻-周防守勝職-左近將監勝靜-勝强-勝貞(備中高梁五萬四千石)現今子爵、家紋左巴三頭、九曜巴、菊巴、花菱。板倉支庶六家、内諸侯に列せられしは三家、其一は伊豫守重同の後にして、伊藤守重同-伊豫守勝〓(佐渡守)-肥前守勝曉弟主計頭勝意-伊豫守勝尙-伊豫守勝明-勝般-勝觀(上野安中三萬石)、現今子爵、家紋左巴三頭、九曜巴、花菱。其二は重種の後にして、内膳正重種-甲斐守重寛-出雲守重奏-甲斐守勝里-内膳正勝水弟兵庫勝任-備中守勝行ー河内守勝矩-內膳正勝長-甲斐守勝俊-内膳正勝顯ー勝巳-勝達(三河重原五萬石)現今子爵、家紋左巴三頭、鞠挾、九曜巴。其三は伯耆守重長の後にして、伯耆守重長-越中守重宣(重相)-越中守重高-讀岐守(因幡守)昌信-攝津守勝興-主水正にして、イタクライタクライタクラ予H イタクライタケ-イタシマイタターイタト美元勝志-主水佑(機部正)勝喜-主水佑勝氏弟越中守勝資-攝津守勝貞-勝成-勝全-勝弘、(備中庭瀨二萬石)、現今子爵、家紋左巴三頭、御挾。板倉庭潮郡平田新田を開發す。又三河碧海郡森越村八幡宮の神主に板倉政方あり。其の他信濃、岩代等に此の氏ありと。
新撰姓氏録考証(記事名の出現頁・OCR照合)
文献(NDLサーチ・Amazon)
- 『実錄「福島藩」 板倉氏就封三百年』福島民報社(2002) 国立国会図書館サーチ
- 中村肇・川原崎淑雄『相良藩 宝永七年本多氏が立藩。板倉氏の支配の後、前後期の田沼氏の自由な文化政策で栄えた湊町。』現代書館(2015) 国立国会図書館サーチ Amazon
- 福島県文化振興事業団『福島城の変遷と板倉氏』福島県文化振興事業団 国立国会図書館サーチ
- 『板倉家家譜 全』 国立国会図書館サーチ
- 『板倉家系図 写 全』 国立国会図書館サーチ
- 『板倉家日記』 国立国会図書館サーチ
- 『板倉家密書』 国立国会図書館サーチ
- 『板倉家由来』 国立国会図書館サーチ