「飯坂」の版間の差分
表示
Wikipedia外部リンクを追加 |
関連文献(NDLサーチ・Amazon)を追加 |
||
| (同じ利用者による、間の1版が非表示) | |||
| 4行目: | 4行目: | ||
===姓氏家系大辞典=== | ===姓氏家系大辞典=== | ||
岩代國信夫郡飯坂邑より起る。伊達家配下の將にして、伊達政宗家中記に飯坂右近あり、藤原姓なりと。伊達藩世臣略記に「飯坂は其の先を知らず、右近宗康、飯坂城に居り、當家輝宗政宗兩君に仕へ、一家に列せらる。嗣なし、女を以つて輝宗君三男河内守宗〓に配し、邑を黑川郡(吉岡)に移す。宗〓發して嗣なし、桑折萬六宗長を以つて後と爲す、寬文中絕家」と見ゆ。飯坂天王寺に右近將示意廣の位牌あり、古館辨に久保田山王館、城代として飯塚右近大夫を置くとあるも同人なるべLo | 岩代國信夫郡飯坂邑より起る。伊達家配下の將にして、伊達政宗家中記に飯坂右近あり、藤原姓なりと。伊達藩世臣略記に「飯坂は其の先を知らず、右近宗康、飯坂城に居り、當家輝宗政宗兩君に仕へ、一家に列せらる。嗣なし、女を以つて輝宗君三男河内守宗〓に配し、邑を黑川郡(吉岡)に移す。宗〓發して嗣なし、桑折萬六宗長を以つて後と爲す、寬文中絕家」と見ゆ。飯坂天王寺に右近將示意廣の位牌あり、古館辨に久保田山王館、城代として飯塚右近大夫を置くとあるも同人なるべLo | ||
===寛政重修諸家譜(記事名の出現頁・OCR照合)=== | |||
*『寛政重修諸家譜』(堀田正敦編、写本、国立国会図書館デジタルコレクション)巻[180]:[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/2577472?page=62 62頁]、[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/2577472?page=71 71頁]、[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/2577472?page=82 82頁]、[https://lab.ndl.go.jp/dl/book/2577472?page=117 117頁] | |||
===文献(NDLサーチ・Amazon)=== | |||
*阿曽沼磨「飯坂家関係記録」仙台郷土研究、27頁(1963) [https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R000000054-I010_102087 国立国会図書館サーチ] | |||
==系図・系譜== | ==系図・系譜== | ||
2026年10月31日 (土) 17:52時点における最新版
概要
関連文献
姓氏家系大辞典
岩代國信夫郡飯坂邑より起る。伊達家配下の將にして、伊達政宗家中記に飯坂右近あり、藤原姓なりと。伊達藩世臣略記に「飯坂は其の先を知らず、右近宗康、飯坂城に居り、當家輝宗政宗兩君に仕へ、一家に列せらる。嗣なし、女を以つて輝宗君三男河内守宗〓に配し、邑を黑川郡(吉岡)に移す。宗〓發して嗣なし、桑折萬六宗長を以つて後と爲す、寬文中絕家」と見ゆ。飯坂天王寺に右近將示意廣の位牌あり、古館辨に久保田山王館、城代として飯塚右近大夫を置くとあるも同人なるべLo
寛政重修諸家譜(記事名の出現頁・OCR照合)
文献(NDLサーチ・Amazon)
- 阿曽沼磨「飯坂家関係記録」仙台郷土研究、27頁(1963) 国立国会図書館サーチ