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==概要== ==関連文献== ===姓氏家系大辞典=== -タラサキ三百頁守武任は大内家に仕ふ(異本系圖)。歷名土代に相良武任·始めは中務丞、天文十年七月二十二日、遠江守となり、二十四年五月十二日出家、」と見ゆ。サガラ條を參照せよ。また求麻外史に「蓮佛長賴公の第二子を彌五郞頼氏と云ふ。多良木を食す。是に於いて始めて上相良の號あり。而して平原、新堀、窪田、岩崎、黒肥地、圖.鍋倉、井口、乙益の九氏、之を上相良の小苗字と稱す。頼氏は鍋城を築いて居り、其の子六郞賴宗は久米村を併せ領す」と。又中興系圖に「多良木、藤原、相良三郞長賴の男·彌五郞賴氏これを稱す」とあり。南北朝の頃、王事に盡す。中村井原文書に「八代庄、並に球磨郡凶徒内河彥三郞、多良木孫三郞、須惠入道」と見え、又島津師久正平九年狀に「爰に肥後國教摩郡の凶徒·須惠、多良木に、同國の凶徒·菊江、河內以下、合力を致し、一色少輔孫三郞殿が楯籠らる城墎に寄せ來り合戰す」など見ゆ、各條を見よ。 (太田亮『姓氏家系大辞典 第4巻』磯部甲陽堂(1944年)387頁) ==系図・系譜== ==関連論文== ==外部リンク== [[Category:地域別/]] [[Category:氏族系統/]] [[Category:出自別/]] * [https://myoji-yurai.net/searchResult.htm?myojiKanji=遠江&from=rank 名字由来net:遠江]
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