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==概要== ==関連文献== ===姓氏家系大辞典=== 」とo但馬守) -通政(初め通房、又通治ともあり。和光院過去帳に「通政七月十六丁卯、慶山道賀、卅歲、妙壽府中ヨリ」と見ゆ。丁卯は永祿十年也)-重道(彥五郞、但馬守、同過去帳に「心巖唱安、重道、於結城、慶長三年十月朔日」と。)-宣通1〓七、實通)なり。續群書類從所載江戶系圖には「中興通總(江戶新兵衞)-通實(彌太郞、法名實山、弟に備前守金永)-通勝(但馬守、常州茨城郡爲水戶城主、その弟に肥前守あり)ー東秀-某(彥四郞、河内守)」また東秀第通長(但馬入道、法號皐山道鶴、第に、隠岐守、彥二郞、彥三郞等あり) -通俊(但馬守、法名通義道徹)-通秦(但馬守) -忠通(但馬守)-通房(愛千代、彥三郞)」と。次に額田系圖には「通泰(號那珂五郎又江戶但馬守、法名皐山道鶴) -胤道(號江戶彥五郞)-通勝(江戶但馬守)-通房(同但馬守)-通鶴(同但馬守)-勝通(同但馬守)-忠通(同但馬守)-重通(〓〓名土代曰、藤原重通關東江戶、永祿四八四從五位下、同日但馬守、吉社寄附狀曰、元亀元年十一月二十日元服、彥五郞重通)」と見ゆ。また一本系圓に「通輝那珂中太)-胤幹(江戶彥五郞)-通幹(那珂玉鹿、江戶但馬守に改む)-通泰(江戶彥五郞)」なりと。江戶系圖多けれど、和光院過去帳最もよかるべし。江戶氏は最初佐竹家臣なりしも、後自立して佐竹氏と爭ふ。江戶通雅に至り佐竹義舜と講和す(那珂家傳)。忠通に至り又爭ふ、天文十四年佐竹義昭、水戶を襲はんとして成らず(圖部狀)。十七年九月大部平に戰ふ、十九年七月戶村に戰ふ(妙德寺舊記)。明年佐竹と和し、其の侵地を歸へす(和光院濟貫帳)。天正十八年豊臣秀吉·小田原を征す、當時江戶氏紀綱廢聽す。重通小田原窮迫を聞き、始めて懼れ、使を遺し、佐竹義宣に從ふ(石川氏覺書、新編江戶系圖)、義宣之を利し、秀吉に告るに江戶氏の我が部屬なるを以つてす。秀吉之を信じ、本國の大半を義宣に賜ふ(石川氏覺書、舊誌、佐竹藏納帳)十二月十九日、佐竹氏水戶城を襲ふ、城陷り、重通達走、結城晴朝に依る。中山信名曰ふ、「彥五郞重通·從五位下、但馬守、慶長三年卒、男三七宣通、秀康君に仕へ、氏を改めて水戶と稱す、秀康君越前に移封の時、宣通從ひ行き、子孫今尙ほ存す」と。江戶氏はかく始めは江戶城に居リ、次に川和田、次に水戶にありしが、一族には竹隅、額田、春秋等多く、又和光院過去帳に「道憲(江戶內匠助、天正十六年、戊子神主沒落之時打死)」。又六地藏過去帳に「江戶藤四郞、道林禪定門(天文十四己巳四月七日、勝倉川にて橫死)」と云ふをも載せたり。 (太田亮『姓氏家系大辞典 第1巻』磯部甲陽堂(1942年)2頁) ==系図・系譜== ==関連論文== ==外部リンク== [[Category:地域別/]] [[Category:氏族系統/]] [[Category:出自別/]] * [https://myoji-yurai.net/searchResult.htm?myojiKanji=後&from=rank 名字由来net:後]
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