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==概要== ==関連文献== ===姓氏家系大辞典=== 1奥州の左氏天正二十年南部領內四十八城目錄に「寺林、山城、破却、信直抱、代官左平次」とa 2大工左家有名なる左甚五郞は父を伊丹正利と稱し、足利幕府に仕ふ。永祿中、國公方·諒ありて、正利·亂を明石に避く其の妻一子を摩耶山に所ること久しく、四十八歲の頃、始めて甚五郞を產む。初の名は刀顧松、十三歲にして父を亡ひ、母に從ひて伏見に往き、番匠奥平治に懸る。甚五郞·性彫刻を好み、工匠の餘リ之を樂みて、頗る之を善くす。毎に左手を用ふるが故に左の稱あり。左甚五郞譜に「左甚五郞、伏見浪人、寬永十一甲戌年四月廿八日死、四十一。左宗心·元祿十五壬午年三月十五日死、七十一歲。左勝政·京今出川寺町に住む。享保十二丁未年五月十三日死左利左衞門左半十郞、左庄兵衞、左嘉兵衛」と。瀨名貞雄云ふ「左甚五郞は關東には來ら播州明石に居住しけるとなん」と。右借抄に「大澤侍從家、享和三年癸亥卯月七日」と見ゆ。又「甚五郞-宗心-勝政-利右衞門」云々と、代々京都今出川にて左を稱す。 (太田亮『姓氏家系大辞典 第5巻』磯部甲陽堂(1944年)4553頁) ==系図・系譜== ==関連論文== ==外部リンク== [[Category:地域別/]] [[Category:氏族系統/]] [[Category:出自別/]] * [https://myoji-yurai.net/searchResult.htm?myojiKanji=左&from=rank 名字由来net:左]
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