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==概要== ==関連文献== ===姓氏家系大辞典=== と言ふ者、禁延樣の御側ば勤めをなし居り、禁延と本願寺と相談ありて、二字、帶刀、袴上下、乘物一切、立物一切、若黨、供人勝手次第、先箱、はぐま、島毛、舘等を許さる。國主水野公お國廻りの時、自分の屋敷の上は通さぬとて、道を屋敷の門の下に付けかえしより字門の下と言ふ地名あり、」と。而して本願寺光圓の書を藏す、其書に「美作殿御家督之由、目出度候。先以使札申入候間、其許可然樣賴申候。次御同前へ腰一路進候。聊視同之驗斗、委細使者口狀可申候。三月二十日、光圓(花押)、」と。又福山志料桑田氏の家士に岡崎氏あり。10安藝の岡崎氏賀茂郡竹原四野村に岡崎氏あり。藝藩通志に「先祖を岡崎左馬丞と云ひ、小早川隆景に事へ、祿千石を給ふ。朝鮮の役、父子俱に從ふ、左馬丞隆景の使として、軍事を豐太閤に報ず、知行衣服を賜て慰勞せらる。其家驛路の傍に在りければ、公歸朝の時、止宿せらる。畜龍と創とを賜ふ。故に家號を龍劔と呼よ。後には龍元と轉稱すと。家に龍〓一軸あり。」と見ゆ。又安四軍策に岡野新十郞見ゆ。11橘姓大和國葛下郡岡崎より起る、楠氏の族にして岡氏と同族なるが如し。郷士記に「岡崎平城、岡崎周防」と。又「岡崎左兵衞、岡崎七郞左衞門、岡崎〓雲則遠、岡周防守橋國高(松永に與し天正丑沒落)、岡野因幡守(狐井に平城)、岡野周防守興齋、家老(橋本、飯田、松本、赤士、藤田、上田、野田、入江)」と。又文祿の和州高付帳に「三十石六斗、葛下郡岡崎與兵衞、同則遠入道〓雲、同左兵衞、同七郞右衞門」と見ゆ。12大友氏流豐後大友氏の一族にして一本大友系圖に「左近將監親時-觀尙円原太郞)-爲氏(岡崎帶刀)」と見ゆ。13源姓寛政系譜に見つ。家紋左三巴、瓜の內唐花。14越中の岡崎氏三州志升形山(在加積郷升形村領)條に「方傳應永二年六月二日、岡崎四郞義村、玆に入城してより、代々居りけるが、天正中に謙信の爲めに攻取られ、末孫魚津に流寓す。(義村末孫、後に西本郷村藤左衞門と號す)」と載せたリ。15岡崎氏は德川時代·飯田堀藩用人、岡田伊東藩用人、山上稻垣藩用人、峰山京極藩重臣、宮川堀田藩用人たり。又田中家臣知行割帳に「一百石岡崎喜兵衞、」大村藩に岡崎氏、尾崎氏より出づ。又蒲生家々臣に岡崎兵衞、香宗我部記錄に岡崎喜兵衞、山野宗左衞門親顏書に岡崎平六、其の他、志摩、岩代信夫郡下保原村神明宮祠官(上保原下保原市柳中村泉澤五ヶ村惣社)社人岡崎彈正。備前にあり。16常陸の岡崎氏新編國志に「岡崎·茂廣、佐竹氏に仕へて鍛冶職たり。其子茂治、其子義次、義次の子主水、二子長市左衞門、次勘左衞門、鐵砲の衛を以て召出さる、」と載せ、又久慈郡立野神社の神主に岡崎氏あり、名家なりと。 ==系図・系譜== ==関連論文== ==外部リンク== [[Category:地域別/]] [[Category:氏族系統/]] [[Category:出自別/]] * [https://myoji-yurai.net/searchResult.htm?myojiKanji=中祖&from=rank 名字由来net:中祖]
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