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==概要== ==関連文献== ===姓氏家系大辞典=== 1〓和源氏土岐氏族美農國山縣郡世保庄(關白道家記に家領美濃世保庄)より起る。尊卑分脈に「賴康(惣領、左近將監) -康行(刑部大甫、本義行)-康政〇重県郞右馬助、大盛大夫、號世安、傾伊勢守護職、法名善昌、道號文岩、號勝善院) -持賴(刑部少輔、大膳大夫)」と載せ、又土岐系圖は「康行-(世保)康政(世保右馬助と號す、大膳大夫。伊豫守護職を領す。法名善昌、道雙文岩、號轉務院、九月十四日卒]-持續(大膳大夫、刑部少輔將軍の命に依り、永享年中五月十六日,大和國にて自殺、道號春岩、號龍源寺、寺は勢州に在り。應仁略紀に出づ) -政賴(孫五郞)」と見ゆ。氏人は應仁記卷二に世保五郞、また「世保孫三郞政廉が本城は上箕田に在り」と。又應仁略記に世保孫三郞政廉、「世保の奉行志田見」、「世保の家の子山田彈正」、また土岐世保五郞持賴など見え、又新撰志、世保村條に『美濃源氏に世保と名乘る武士は、みなこゝの人なるべし。世保孫次郎貞頼は、分脈系譜に云々。貞羅の曾祖父重俊は「美乃國岩瀧掃本主、承久に京方にて討たれ了んぬ」と、同系譜にしるせり。世保刑部少輔持賴は、南方紀傳に「永享元年己酉七月十四日、伊勢の國司滿雅·蜂起、仁木持長、一色義11.長野、雲林院、北畠中將持康·これをふせぐ。土岐世保刑部少輔持賴·大將として、岩田において合戰、國司滿雅·打負け、すなはち打死」など見ゆ。十二年度申五月十六日、伊勢の守護土岐世保持賴·退治として、將軍細川讚岐の守に仰せて、大和の國多武の峯におゐて、合戰、持頼うちまけ自害す。又江濃記に「伊勢の世保と申すは、伯耆十郞賴藤の子息賴康の末葉也」ともしるして、こゝの住人なりしが、伊勢の守護職をうけ給はりて、彼の國にありしなるべし。椿葉記に「正長元年のしはすに、南方の御叛反、伊勢の國司·打出で、土岐の與安と合戰す」としるす』と0 2伊勢前項參照。河曲郡上箕田村土岐城は土岐臭安、世保持賴の居所と云ひ、塵仁記に「應仁二年六月云々、土岐世保·上意に違背するの條、國司へ仰せ出さる。御退治異義なき也。同二十八日、世保本城上箕田林崎、井に外城柳若松、同時に責め落さる。同二十九日、世保が臭力捕原城落つる也」と又應仁略記に「伊勢は、土岐の世保五郞政康·打入りぬ」とあるは、持頼の誤かと云ふ。その他、關條參照。又土岐條を見よ。3〓和源氏小島氏族尊卑分脈に「滿政齋孫、小島五郞重平-太郞重俊-五郞重行-孫五郞電連-貞賴(世保孫二郞、世保又三郞源盛俊の子となりて相續)」と。 (太田亮『姓氏家系大辞典 第6巻』磯部甲陽堂(1944年)5678頁) ==系図・系譜== ==関連論文== ==外部リンク== [[Category:地域別/]] [[Category:氏族系統/]] [[Category:出自別/]] * [https://myoji-yurai.net/searchResult.htm?myojiKanji=世保&from=rank 名字由来net:世保]
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