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==概要== ==関連文献== ===姓氏家系大辞典=== 豫章記に「正平廿四年云々、生子山一城修理亮、河野家御内の人を相副へ籠めらる、」と見ゆ。一條參照。一乘院イチジヤウヰン門跡寺院の一なリ奈良興福寺の寺務にして、本寺の北にあり。諸門跡譜に「一乘院、定昭大僧都關創(興福寺、金剛峯寺別當、東者長者、密顯兩宗兼學)、小一條左大臣伊尹公の男也。永觀元年寂、七十八才」と。按るに、定昭以來數世信圓僧正の時、一乘大乘兩院を兼帶し、其徒弟良圓一乘院を讓附せられ、法務相承して尊覺法親王(後陽成天皇十子)以後眞敬、尊昭、尊映、尊誠、尊應の五法親王入嗣ありき。(後醍醐帝子玄圓親王も入院法務を執り玉へリ)。明治維新に及び、春日神を興福寺より分離せしめ、寺祿三千餘石を收公し、僧侶を還俗せしむ。其僧侶は大乘、一乘の兩門跡以下、塔頭諸坊(院家と稱したり)の住持、大略京師公家(堂上方と稱したり)の子弟なりしを以て、特恩を以て華族に列せしめられ、其の後松園(大乘院)、水谷川(一乘院)、以下二十餘家に男爵を賜十。今俗に云ふ所の還俗華族是なり。中世以降、本寺々務は大乘一乘の二院交代之に任じたりしが、爭論屢々起リ、德川幕府の裁斷を請へる事あり。明治維新兩院慶絕す、(地名辭書)。詳細は各條にて云べし。押御印一六、八白上リ一六、八御輿號衣花色小紋御合印杉イチスギ ==系図・系譜== ==関連論文== ==外部リンク== [[Category:地域別/]] [[Category:氏族系統/]] [[Category:出自別/]]
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